Friday, June 17, 2016

N.O.29

【BALLOONS】
初めてライブ見たのは、僕らの企画でバルーンズの初来旭の時、2007年くらいだったかと思います。竿とアンプとの間にチューナーさえかまさないという電気の生音への徹底ぶりに説得力を感じました。ライブは、ストイックなディスコード感(レーベル名ではなく、不協和音のそれ)が訪れる瞬間にハッとさせられた記憶。その後何度もライブを見ましたが、特に自分は兄貴のドラムが大好きで、正直ドラム中心に見て/聞いてしまうところがあります。まあでも弦楽器隊もボーカルも最高なんだよね。特に最新アルバムのegal est 88、音から曲から何からバルーンズブランドのトータルコーディネートの極み。

【discotortion】
初めて見たのはKlub Counter Actionで、サンシャインの来札の時だったか?もう少し前だったか?定かではありませんが、ロブさんに一撃でやられた記憶はいまだ鮮明で、自分のバンド観を大きく変えられたバンドです。ステージングというかアンチステージングの格好良さというか、まあとにかく影響受けました。その前に、theSunとのスプリットの一曲目のthis contortionのリフの前のノイズだけですでにトリコでした。その後、形を変えながらどんどん音の恐竜化してきた今のディスコ、まさに天下無双ですよね。

【WHAT EVER FILM】
大学時代にショっぼいバンドを一緒にやってた友人が、帰郷後山形に確固としたシーンを作り上げて全国に知らしめ、リスペクトを集める姿っていうのはとても誇らしく、そして間違いなく、今の自分たちがあるのは彼らのおかげです。とにかく男臭い、ハードコア精神とフロンティアスピリッツを糧に前だけに進む、そして心を搔きむしる熱い激情をたたきつける、唯一無二のバンド。「バンドに愛されるバンド」の筆頭でははいでしょうか。

【L!EF】
2000年代初頭のインディーダンスパンクの流れがリアルタイムに好きだった自分にとって、ドンピシャの出会いだったんですよね。ステージングが神懸かり的なスターのキラキラ感満載なのに、どこかやはりパンクの出自を感じさせる太い骨組みが1本通っていて。ミッチェルは、deepslauterヤスくんと並ぶおれのギターヒーローの1人です。床にギターをおいて反復横とびスタイルでつま先で弦をはじく姿はいつになっても脳裏から消えません。

【TG.Atlas】
うちです。帯広〜札幌〜稚内〜宮城県と遠距離9年目になってしまいましたが、まだ消えてません。やりたいことはまだあるので、もう少し粘るつもりです。

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各バンドとの出会いを中心に書きました。

上述したバルーンズの初来旭の打ち上げにて、兄貴から東京に誘われたような記憶がうっすらとあります。門脇からTGのうわさは聞いてるよ~って。それがうちの初の東京遠征、幡ヶ谷Heavy Sickにつながります。リハ時間に少し遅れて幡ヶ谷に到着、駅を出たらバンドマンらしき兄ちゃんに「TG?」って話しかけられ、ハコの場所をおしえてもらったんですが、それがsora/killieのうっちー。さらに言うならその幡ヶ谷の打ち上げで、MOSQUITOの名前がkillie伊藤君に命名されたんだからやっぱり全部つながってるんだよなあ。

そんで確か2006年くらい、うちのバンドとしての初の単独企画で東京からmy head swimsに来てもらったんですが、その札幌編をやってくれたのがcolor me blood redだったんですね。それが小森さんとのファーストコンタクトで、札幌の打ち上げで初めて喋ったくらいだったはずです。そんな縁からdiscotortionともつながりを持つことができました。

その翌年だったか、まだ山形でやってた頃のakutagawaに旭川に来てもらったんですが、そのときは函館でもライブしたんですね。で、アクタとうちと、L!EFも一緒に函館に行きました。L!EFとはその時からだったかな?ミッチェルは元旭川だから、旭川でやってたlimit of krideの頃から知ってましたね。リミットは後のanother 9noteになるわけで、ご承知のとおりL!EFのなおちゃんは後にdiscotortionでもドラムを叩くことになるわけです。

辿ればキリがないくらいこれまでの自分たちの活動の軌跡が凝縮されたメンツで企画ができること、本当にうれしく思います。

バルーンズ兄貴がツイッターで言っていたとおり、企画はやっぱり毎回難しいし面倒なことが多いです。続けることだけがすべてではないにせよ、続けることのしんどさは骨身にしみてわかります。

そんでもやっぱやっちゃうんだよなあ。。。

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