Saturday, October 24, 2009

謙虚

結局、自分の「立ち位置」を決めるのは自分しかいない。
という結論に至った、というか、結論なんて元々そういうことでしかあり得ないのです。
最終決定を下すのは、自分なわけです。

なんでもそうなんだけど、「見ないようにしていた」とか、「気づかないふりをしていた」とか、
そういうのは言い訳でしかなく、それは自分を大なり小なり支えてくれる周りの人達や、
何より自分自身にとって至極失礼な話で。

人の反応を恐れて何かを踏み出せない時、本当にそれが恐るるに足るようなことなのかと。
自信過剰はいかがなモノかとはおもうけど、過敏な恐れは何ものも生み出さない。

「感謝する」ってのは、当たり前に口にする言葉でありながら、とても難しくて重要なことですよね。
自分の内なる欲求に、願望に、その深層に深く心から耳を傾けることの大切さ。
他人を心から思いやること、想像することの大切さ。

ようやくここ最近、実感出来てきている気がします。

なんだかそういった感じの投稿が続いている昨今だけども。笑
病んでいるわけでもなんでもねえのだぜ。
ありがたいねえ。
マジありがたい。
愛は世界を救うのだ。

Monday, October 12, 2009

同調

今おれは34歳。
中学や高校の時は、時代もそういう時だったってこともあるのかもしれないけれど、ギターを弾く奴も音楽をず~っと聴く奴もバンドやってる奴も、周りにはわんさかいた。

今周りを見渡すと、たまたま同じクラスだったとかたまたま同じ学校だったとか、そういう、いわゆる普通の友達で、いまだにそういうことをやり続けている人は思いのほか少ない。

現在進行形で親交のある人達ってのは、今では圧倒的にバンドを通じて知り合った仲間や知り合いが多いわけで、そういう意味では、絶対数は今の方がずっと多い。けど、もともと友達だった奴で音楽をやっている友達ってのは、数えるほどしかいない。

さすがにこの位の年齢になると結婚していて、子供もいて、っていう連中がほとんどで。
日々忙しいとか、やるべきこと、やらなければならないこと、責任、義務、そういったモノが年々膨れあがっていくっていうのは、わかる。俺だってそうだもの。
だから、結局はそこまで好きではなかったんだろうなあっていう。
その時に一番楽しく仲間と時間を共有できる手段として、音楽が近くにあったということなんだろうね。

さて、こちらはというと。
やるからには、やり続けるからには、極めて力を入れてやるしかない。
「楽器を演奏する」という趣味のためにやっているんじゃないもんね?

思いを伝えよう本気になれば思わぬリアクションが返ってくるし、
やっぱり信じて行動する事なしに、何事も動かない。
全ては、自分。
自分っていうのは、この体や心、意識、それだけのものではない。

すべてはじぶんで、じぶんはすべて。

何か/誰かのためにやることというのは、自分のためでもある。
自分のためにすることは、何か/誰かに影響を及ぼす。
境界線なんて、どこにもないんだ。
一切はつながっているのだ。