一年生の息子に、縄跳びを教える。
別に縄跳びだろうが鉄棒だろうが雲梯だろうがそれそのものができるようになってほしいわけではなくて、「頑張ればできるようになる」という気持ちを教えたい。その感覚を知って欲しい。
教える側に求められる根気もなかなかのもので、イライラしてしまいがちな気持ちを押さえ、話しあいながら、なんとか頑張らせるのも実は一苦労。でも結果的に教えたそれができるようになれば、こちらとしても嬉しい。自己満足なのかもしれんがね。
得意な部分を伸ばすことよりも、苦手を克服することのできる人間になってほしいのだ。全てにおいてそれが可能だとは思わないし、頑張ってもダメなこともあると知るのもまた、成長だろう、でもそれはまた後になって、自分で知るべきことだろうし、そういう時に逃げないで自分に向き合うことのできる人間であれるよう、下地を養ってあげられるのは、この時期に親のすべきことなんだとおもう。
学校の勉強も、けっきょくはそういうことで、学んだ内容が役に立つとか立たないとか、そんなことはどうでもいいのだ。すべきことをし、身につける、その過程で養われる気持ちこそが重要なんだよね。
連続二回まで跳べるようになったので、あとはまた後日。自転車も補助輪なしで乗れるようになったし、鉄棒も竹登りも、頑張ってできるようになったんだから、絶対大丈夫。
別に縄跳びだろうが鉄棒だろうが雲梯だろうがそれそのものができるようになってほしいわけではなくて、「頑張ればできるようになる」という気持ちを教えたい。その感覚を知って欲しい。
教える側に求められる根気もなかなかのもので、イライラしてしまいがちな気持ちを押さえ、話しあいながら、なんとか頑張らせるのも実は一苦労。でも結果的に教えたそれができるようになれば、こちらとしても嬉しい。自己満足なのかもしれんがね。
得意な部分を伸ばすことよりも、苦手を克服することのできる人間になってほしいのだ。全てにおいてそれが可能だとは思わないし、頑張ってもダメなこともあると知るのもまた、成長だろう、でもそれはまた後になって、自分で知るべきことだろうし、そういう時に逃げないで自分に向き合うことのできる人間であれるよう、下地を養ってあげられるのは、この時期に親のすべきことなんだとおもう。
学校の勉強も、けっきょくはそういうことで、学んだ内容が役に立つとか立たないとか、そんなことはどうでもいいのだ。すべきことをし、身につける、その過程で養われる気持ちこそが重要なんだよね。
連続二回まで跳べるようになったので、あとはまた後日。自転車も補助輪なしで乗れるようになったし、鉄棒も竹登りも、頑張ってできるようになったんだから、絶対大丈夫。