Tuesday, July 25, 2017

悪のはな(とゆめ)

思い出とか思い入れとかでかなーり補正されてしまうので客観的なお話にはならないけれど、何にせよ、実店舗の存在意義ってのは"欲しいものがピンポイントで手に入ること"とは少し違うところにある。近所のスーパーがなくなって、でもネットスーパーの方が安いし品揃えも豊富だし、っていう考え方に与してしまうのは、豊かじゃない。


自分の嗜好なんてものは不確かで大概視野の狭いもので、人の勧めるものを受け入れて美味しく頂くことのできる懐の深さや謙虚さはある種の技術で、結果、自分の嗜好をより深くする。


友人の店でTシャツを刷れば友人の娘達の学費の足しになるし、橋渡ったところの本屋に置いてなかった舞城王太郎の旧作を取り寄せれば、ハゲの店主の晩飯に漬物くらいはつくかもしれない。後々自分が執筆に携わることになったとき、ハゲの店主はきっと俺の本を店に置いてくれるだろう。


AMAZONでコーネリアスの新作を買えば、大学時代のサークルの先輩が働くAMAZONの儲けになる。どこで買いどこで買わないかということは、何を残して何を残さないかという選択を自分で下しているということで、日常的にそれを意識するのは結構しんどいが、そこを何も考えないのは、悪だ。