Thursday, October 02, 2014

A面からB面へ

データ配信やらアナログレコード、カセットテープも昨今人気出てきているけど、
僕はCDが一番好きです。あと音楽のデータ配信はぜんぜん賛成派。

音源をモノとして持っていることがどうたらとか、アートワークとか装丁含めてなんたらとか、そういう気持ちもそんなにないです。あくまでそれは他の音源と見分けるための記号であって、それが格好いいと気分はいいし思い入れもわくけど、まあでもそこにそんなに価値を見出してはいない。音質も、正直よくわからん。レコードやCDを取り扱う店は衰退していくのだろうけど、音楽に限らずそうやって社会は変わってきてるんだろうから、生活をかけてそういう業界に従事している人はそれは大変だろうけど、炭鉱マンだってそういう時期はあったのだろうし、酒屋や八百屋だってコンビニに取って代わられたのだろうし、時代の流れってのはそういうもんでしょう。

じゃあなぜ自分は配信で音楽を買わずにいまだにCDを買うのかというと、消えてなくなったりしそうで不安だからという"慣れなさ"、これに尽きる。CDのデータも永久じゃないってことは当然知っているけど、それとこれとは話が違うよね。ちなみにレコード買ったらついてくるダウンロードコードは一度も使ったことはない。面倒だし、別にいらないです。

というかもうデータでいいなら、CDとかレコードでいう"アルバムとしての枠"が取っ払われているのだから、自由度はかなり上がっているのでしょう。何時間あったって1つのアルバムとして成立できるだろうし、そもそも"アルバム"なんて概念がもう不要かもしれないし、それを言うなら"曲"って概念もなんだかよくわからなくなってきて、今日の19時から来年の7月4日の20時までで1曲です、なんてのもアリだよなあ。これまでの歴史の中で、アルバム1つで60分程度とか、1曲3~5分とかそういう感覚が人々に染み付いているから、それが一番抵抗なく受け入れられるんだろうけど、レコードやCDというフォーマットから自由になったのだから、そんな足枷にとらわれる必要はどこにもない。"売ること"を内包する音楽ならそうはいかないのだろうけど、ただ音楽を作るだけなら何やっても音源として発表しやすいわけですね。

音楽のデータ配信に反対することは、今までレコードやCDで売られていた音楽に対する郷愁、思い出、そしてそれが変化し消えてしまうことに対する抵抗、つまり、自分の通った小学校が廃校になることに反対するような気持ちと大して変わらない気がする。自分が過ごした日々こそ正義、か。

そんなこんなで、音楽を売って金にするとか音楽で飯を食うっていうスタイルは、どんどん変容するのでしょうね。それはそれで楽しみです。

稚内はそろそろ寒いです。

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